開け放たれた窓から、微かにのぞく月の光が部屋の中を照らしだしている。
 薄っすらと灯りを灯した蝋燭の光、透明なガラスの器に満たされた真っ赤な血水、床には
 無秩序に、それでいて、その並びさえも何かを表しているように描かれた白線の円。

 突如、部屋の中を一つの黒い影が姿を現す。

 すっぽりと着込んだ漆黒のローブが不気味さを醸し出しているが、その風貌とは裏腹に
 肩まで伸ばした茶色い髪は風になびき、微かにふくよかなふくらみを持つ影は
 見た目、華奢にしか見えない小さな女の子を思わせた。

 少女は肌をくすぐるそよ風に、虫たちが奏でる音楽に身を任せるように、静かに目を閉じた。
 薄暗い部屋の中、まるで子守唄を奏でるように、ただ静寂の中で言葉を紡いでいく。


 「風より生まれし妖精の息吹、地より噴き出せし生命の鼓動。
  私の呼び声に答えて、その姿をここに示してください」


 その瞬間、ほのかな光の放つ球体が部屋の中をゆらゆらと漂い。
 生い茂る草木が、咲き誇る花たちがガサガサと合唱をはじめる。
 少女は静かに、そしてゆっくりと空気に染み渡るような歌声で唄う。

 その光景は、見る人すべてを幽玄へと誘ってしまう程の瞬きに満ちていた。



 どれだけの時が過ぎたのか。
 それは数時間だったかもしれないし、ほんの数分の出来事だったのかもしれない。

 少女は一通り唄い終えたのか、目を開き、白線で描かれた魔方陣の中心を覘きこむ。
 気が付くと、風は吹く事をやめ、虫たちはまるで、いままでそこに存在していなかったかのように
 音を失い、確かにそこにあったものは次々と闇へと帰っていく。


 喜々とした一転を見つめ、薄茶色に透き通る瞳をキラキラと輝かせた少女。
 少女の見つめる先・・・・・白い魔方陣から靄のような煙が沸きはじめた。
 靄はあっという間に部屋の中を飲み込み、まるで雲の中にいるような感じになる。



 「ふっ、ふふふ・・・・・あははは、もう我慢できないや♪」


 靄が広がる中、急に少女が噴き出したかと思うと、先ほどまでも静かなイメージと
 は打って変わり、楽しそうに笑いはじめた。


 (うん、まさに迫真の演技!魔法使いっぽかった〜
  さてさて、何が出てくるのかぁ〜♪)


 少女は嬉しそうに、目を閉じ、何がでてくるのかを考える。


 (う〜ん、ケットシーとかだとかわいいし・・・・・アクリルで作られたガーゴイルもおもしろそう♪
  ハッ!もしかしたら・・・・いかにも、私は悪魔ですよ!って感じの格好をしたのとか・・・・・)


 少女はもう我慢できないと言わんばかりに、煙に覆われた白線の中央をじ〜と見つめる。

 次第に煙は窓から逃げていき、ずいぶん視界も回復してくる。
 今にも飛びつかん勢いの少女の目の前に現れたのは・・・・・って、あれっ?


 「・・・・・んんっ?何かお母さんに似てる気が」


 少女がお母さんと呼んだ女性は白いエプロンを身につけ、手にはご飯をよそうのに使うしゃもじを手にしていた。
 髪を後ろで軽くまとめ、おっとりとした表情でこちらを見ている。
 ・・・・しかし、少女には彼女がなぜか怒っているように感じた。


 「早く起きて着替えなさい!
  せっかくのご飯が冷めちゃうでしょ!」


 女性は精一杯、怒っていますよ!と腰に手を当て、表そうとするが
 おっとりした雰囲気を漂わせているせいか、あまり怖い感じがどうしても出ない。

 少女は突然の母親登場に驚きながら、不意に先程まではっきりしていた景色はぼんやりと
 薄れていき、すぐに少女はこれは夢なんだなぁ〜と理解した。








プロローグ






 「・・・・ほへっ?」


 少女、御津葎凪(みと りつな)はとぼけるような声を出しながら目を覚ました。
 外はすっかり陽が昇り、チュンチュンとかわいらしい声で鳴くスズメが
 気持ちのいい朝を演出している。

 まだ眠たそうに再び閉じようとする目をこすりながら、ベッドからもそもそと起き上がる。
 時計を見ると、時既に遅し、午前8時を回りそうになっていた。
 いつもならすでに準備を終えて、出発している頃である。
 しかし、いまだに半分眠っている葎凪はいまいち、危機感をいうものが
 どこかに飛んでいってしまっていた。

 寝ぼけているのか、部屋の中をうろうろと動き回ると四角い木製のテーブルに
 倒れるように突っ伏してしまった。


 「・・・・・すぅすぅ」


 再びまどろみの中、眠りにつこうとすると、


 「こらぁぁ、早く起きないと遅刻するわよ〜。
 ・・・・また、あんたは気持ちよさそうに・・・・ほらっ、早く顔洗って行きなさい」


 ノックもせずに入ってきたのは葎凪の母である御津要である。
 髪を後ろで丸くまとめて、朝食でも作っていたのかエプロンをつけていた。

 要は思わず躊躇われるくらいの満足そうな笑顔で寝むる娘の頬をぱちぱちと軽く叩きながら、葎凪の安眠を
 必死で阻止しようとしていた。


 またそれでもなかなか起きようとせず、5分間の攻防の末、なんとか
 勝利した要は、娘を洗面台に送り出す。


 「・・・・・まったく、あの頑固さは誰に似たのかしら」


 ため息をもらしつつ、娘の部屋を見渡す。
 そこは普通の女の子の部屋とは少し違っていて、占いに用いるような水晶玉やタロット、他にも
 小難しい書物や不思議な色をした石まで飾られている。


 「まぁ、修夜さんの影響なのは間違いないわね。
  今頃どこをほっつき歩いているのやら・・・・・・」


 彼女の夫であり、葎凪の父 修夜はあらゆる文化や風習などを研究している民俗学者で世界中を飛び回っている。
 本人曰く、「文献で学ぶより、実際に体験してみて初めて分かるものがある」との事で
 家の事は要にまかっせきりの夫である。

 それでも年に数回は家に帰ってきては、何に使うのか分かんない様な不思議なものを
 おみやげに持ち帰ってくるのだ。
 ついこの間なんか、ある部族の男性が身につけるものとかをおみやげと持って帰ってきたわけだが、要は
 ニコッと笑いながら、修也からそれを奪うと、娘の前に出る前に真っ二つに割り、捨ててしまった。

 ・・・・・そんなこんなで、しっかりと娘にも多大な影響を与えてしまったわけだが。










 「・・・・はぁ。それで、あんたは寝坊した訳だ」


 葎凪の通う公立桜海高校の2年C組の教室。
 一つ前の席に腰をかけ、こちらを見ているクラスメイトの藍は呆れながら、ため息をついた。


 「まぁまぁ、分からないでもないじゃないですか。
  私もけっこう負けそうになる時あるし・・・・・・・・ねぇ?」


 葎凪と藍の間には、隣の机に腰をかけるように座った友人の千草薫が足をバタつかせながら
 うぅっと机に突っ伏している葎凪を励ますように言った。


 葎凪はあの後、急いで家を飛び出したのだが、起きた時点で遅刻確定だったために
 当然のごとく、学校に到着するなり担任に注意され、ペナルティとして課題まで出されてしまったのだ。


 「・・・・でも、遅刻したぐらいで何で課題なんかわたされるの・・・・」
 「・・・・そりゃあ、あんな風になれば・・・ね」


 渡された課題にうなだれながら、不満をもらす葎凪を見ながら、藍は先程の光景を
 思い出すと、またまたため息をついた。
 隣では薫もアハハッ・・・と乾いた笑みを作っている。
 一人だけどうしても理解できないと言いたげな表情をしている当の本人は首を傾げた。




 時間を遡る事30分・・・・葎凪学校に着くなり、猛スピードで教室のある場所に向かって走り出した。

 はぁはぁっと軽い息切れをおこしつつ、教室の戸を開けると
 すでに自分の席についていたクラスメイト達は息を切らして入ってきた葎凪をみると、遅れて
 きた彼女に手を振る生徒がいたり、所々では笑い声すら聞こえてきた。

 そんな教室の教壇に仁王のように立っている女性が一人。
 2−Cの担任でもある橘先生の姿がある。
 髪は短く揃え、整った顔立ちをしており、スタイルもよく男子生徒から絶大な人気を誇っているが
 ハキハキとした性格のおかげで綺麗というより、格好いいに入る美人の先生だ。
 ちなみに担当は現代文学の部類に入るのだが、時には本当に現国の教師なのか?と
 疑われる程の言葉遣いで話したりする。


 「おい、御津!あんたはまた遅刻か?もう今月に入って5度目!」
 「えっ、もうそんなにですか!・・・・・え〜と何ていうか、凄いですね」


 葎凪が意外な事実を知ったみたいな顔をして驚いるのに対し、あんたの事だ!と
 思わず突っ込みをいれてしまいそうな橘先生だったが、それを飲み込み、話を先に進める。


 「それで今回の遅刻の原因は?また一晩中、ずっとこの前みたいな変な占いでもしてたのか?」
 「え〜、変な占いじゃないですよ。
  あれはれっきとした古代バビロニアで行われてたという天体観測が起源の占星術って言ってですね・・・・・」
 「あぁ〜、わかったわかった。で、遅れた原因は?」
 「あっ、そうですよね!
  そうだ、先生聞いてくださいよ♪さっきまで見てた夢の話なんですけど・・・・」
 「・・・・・・・」


 思わずうな垂れそうになっている担任に気付かず、楽しそうに自分の夢の話をする葎凪。
 緊張した空気が解けたと思ったのか、それぞれ雑談をはじめる生徒達。
 その中で一人だけ、橘先生のこめかみ辺りがピクピクと動いている。

 それを見た千草はあわわ、とどうしていいのか分からず困っているし、藍は藍で
 あまり興味がないのか、耳だけは話に向けつつ、熱心に読書に勤しんでいた。


 「・・・・それでですね。
  いきなりお母さんが出てくるから、びっくりしちゃって・・・・」
 「・・・・・・はぁ、もういいわ。ほらっ、これ持って早く席に着きなさい」


 まだまだ話したりないといった感じの葎凪は、プリントを押し付けられると
 トコトコと自分の席に着いたのだった。








 「だから先生にしてみれば、遅刻した理由を聞いてるのにいきなり占いの話とか、今朝見た夢の
  話とかされたら、落ち込みもするに決まってる。
  まぁ、先生もいい加減慣れてきてたっぽいけどさぁ・・・・・」
 「えぇ〜、おもしろいでしょ!占いだよっ、う・ら・な・い♪二人も好きでしょ?そういうの〜」
 「葎凪のは専門的過ぎるの!
  まったく・・・・本人に自覚がないってのが、一番の問題よね・・・・」
 「アハハ・・・・でも、そこが良いとこだと思うよ。
  ほらっ、ちょっとポケ〜としてる所が、りっちゃんらしいっていうか」



 もう諦めてるといった感じの藍に、しっかりフォローを入れてくれる薫。
 諦めてるとは言っても、何度も言ってくれる辺りはそれだけ心配している訳なのだが。

 この二人とは中学時代に知り合った友人で、藍(本名:霧島 藍)は運動はあまり得意ではない
 といいつつも、モデル並みのプロポーションの持ち主であり、男子から人気も高いのだが
 あまり人と話すことを好まないためか冷たいと思われやすいらしい。
 しかし、よく葎凪や薫をからかって遊んでおり、意外と面倒見も良い事も
 あってか、葎凪にとっては頼れるお姉ちゃんといった感じである。


 一方、薫(本名:千草 薫)はその小さい体からは想像もつかないくらいのスポーツ万能少女で
 陸上部のエースにして、運動部の間では「小さな巨人」と呼ばれているくらいである。
 本人は背がちっこい事を気にしてるけど、葎凪は別にそのままいいのにと思う。
 私が言うのも何だけど、私の事をいつも助けてくれるとっても友達思いの友人なのだ。






 ガラッ


 わいわいがやがやと生徒達が話してる中、つい先ほど出て行ったばかりの橘先生が入ってきた。
 先生が入ってくると同時に生徒達は「あれっ?まだ時間じゃないよな?」とそれぞれ顔を見合わせ
 首をかしげる。


 「あぁ、悪い悪い。さっき言い忘れてた事があったわ」


 橘先生はそう言うと、教壇の前に立って、席につくようと話す。
 生徒達はいそいそと話を終え、自分の席へと戻っていく。
 全員が席に戻った事を確認すると、


 「率直に言うけど、今日から転校生が一人、このクラスに入ってきます。
  本当なら朝のHRで挨拶してもらおうと思ってたんだけど、本人の事情がなんかで
  帰りに挨拶だけでも顔を出してくれるそうだから、仲良くしてやって。以上」


 突然の転校生発言に唖然とするクラスの面々だったが、すぐに興味津々といった感じで
 「どんな子かなぁ?」「カッコイイ男の子だといいんだけどなぁ・・・・」「バカヤロウ!ここは
  やっぱり、綺麗で可愛い女の子がだなぁ」「別にあんたの好みなんか聞いてないわよっ!」
 と各々、なんだかんだ言って楽しそうに話し始める。
 それを見た橘先生は一瞬、青春してるなぁといった哀愁の色を浮かべたが、すぐにハッと気付くと
 首を振って、表情を戻した。


 「ほらほらっ、もうすぐ授業始まるから静かにする。
  じゃあ帰りのHRの時に連れてくるから、そん時は大人しくしなさいよ」


 そう言うと、すたすたと教室を出て行ってしまった。
 当然、注意するものがいなくなれば、再び生徒達はガヤガヤと席を立って、他の席に走っていく。


 「転校生ねぇ・・・・こんな時期に珍しいね。
  まぁ、葎凪みたいな変な奴じゃなければ私はどっちでもいいんだけど」
 「ちょっ、別に変じゃないよぉ!」
 「はいはい、そうだったら本当によかったんだけどね」


 ムッとむくれる葎凪に、口元に微笑を浮かべながらあしらう藍。


 「でも、どんな子が来るのか楽しみだよね?走るのとか好きかなぁ?」


 傍らでは、さっそく期待の転校生を想像している薫が物思いに耽っている。
 そんな薫を藍は横目で見ながら、


 「さすが陸上部の小さな巨人の異名を持つ薫だな」
 「・・・・・・・・ち、小さ・・・・・気にしてるのに・・・・」
 「ふふっ、牛乳でも飲む?いるんだったら、いつでも買ってきてあげる」
 「・・・・・・うぅ」


 余程気にしているのか、がっくりと肩を落としてるのを見て、藍はその様子を楽しそうに見ていた。
 この二人はいつもこんな感じなのだが、葎凪にはとても楽しそうに見えるので
 思わず自然と笑みが浮かんでくるくらいだ。


 (でも、友達になれたら嬉しいよ。
 占いとか、古い伝承の話とか好きだと、絶対に楽しく話せるのにな)


 葎凪はポカポカと暖かい日差しが差し込む窓から、外に目を向ける。
 一学期も後は2、3週間ほどしかなく、蝉がうるさくも力いっぱい鳴いていて
 夏の気配がすぐそこまで迫っていているような感じがした。






 あっという間に、授業が終わり、放課後の教室では転校生はまだかまだか、と
 そわそわしているクラスメイト達が座って、落ち着かないのか雑談に興じていた。



 ガラッ



 教室のドアが開けられ、橘先生が姿を現し、教壇の前でゆっくりに見渡す。
 生徒達も先生が入ってくると同時に、話をやめると、静かに前に座りなおした。


 「全員そろってるわね?
 今朝話したとおり、今日から転校生が一人、うちのクラスに入ってきます」


 待ってましたと言わんばかりに、ぼそぼぞと再び教室内がざわめきはじめた。


 「ほらっ、落ち着きなさい。
 彼は家の事情で、こっちに引っ越してきたそうです。
 きっと新しい環境でやっていけるか不安になってると思うから、そこんとこは
 あんた達にかかってるんだから、よろしく頼むわよ」


 橘がそう言うと、女子の一部は転校生が男子だと分かりざわつきだし、一方では
 女子じゃない事が分かった男子はやっぱり残念そうに肩を落としていた。


 「・・・・・・ふぅ、何が楽しいんだろうね。そんな事、どっちでもいいと思うけど」
 「あっ、藍ちゃん。そんな言い方はないよ〜。男の子でも女の子でも、仲良くしてかなきゃ!」


 興味ないという感じの藍に対して、葎凪は軽く注意をする。
 仲良くできたら、それでこそ、もっともっと高校生活も楽しくなるというものだ。


 「じゃあ、そろそろ入ってもらうからね。
  失礼だから、あまり騒ぎすぎない事!分かったわね?」


 橘先生はそう言うと廊下の方に向かって、「どうぞ」と声をかけた。
 どこか緊張したような雰囲気の中、生徒達の視線は教室の扉に注目する。
 すると、桜海高校指定の制服を着込んだ一人の少年が姿を現した。

 身長が高く、スラッとした体型をしており、短く、黒一色に染められた黒髪。
 どこか大人びた雰囲気の少年は、その黒く澄んだ瞳を生徒達に向けた。


 「じゃあ、本人に自己紹介でもしてもらおうか。
 あんまり緊張しないでもいいから、好きに話してみなさい」


 橘先生は緊張を解そうと軽く少年の背中を叩くが、少年はとくに気にも止めていないのか、表情を変えず
 一歩だけ前に踏み出すと、その口を開いた。


 「・・・・・・名前は威織 陸。どうかよろしく」





                                 プロローグ 終